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2005/10/03

あなたに会えて

下のこぞー(いーたん)が1才の誕生日を迎えて、もう2日が過ぎました。

誕生日とはいえ、まだ1才で本人はまるで自覚はない(あたりまえ)のですが、いつかキミの1才の誕生日はこうだったと教えてあげられるよう、写真だけは撮っておきました。

特別、何もしてあげてはいないけど、初めての誕生日だったので、家族みんなで西国分寺の近くにある大きな公園に遊びに行くことにしました。近くに奥さんの友達が住んでいて、その公園は飼い犬のトマトの散歩コースだったので、電話してみたところ、これから散歩に来てくれるとのこと。そして、やってきた人懐こいトマトに初めてペロペロと手をなめられてしまったいーたん。でも泣くどころか満面の笑み。むしろ、トマトを遠ざけたら、もっと一緒にいたいのに引き離されたと思ったようで、大泣きでした。

そして翌日(昨日ですね)は、主役が寝てしまってできなかったお祝いを家族4人でやりました。とりあえずケーキを囲んでタイマーで撮影したり、自分で撮ってみたり。取った写真を見返しているうちに、「あ、これ、すごく嬉しくなる、宝物のような写真だな。」って思える1枚がありました。タイマーではなく私が撮ったものなので、こぞー二人と奥さんの3人だけの写真なんですが、真ん中のいーたんを挟んで上のこそーと奥さん。みんな、すごく、自然。いーたんはとても楽しそうに笑ってる。そしてにーちゃんとママがそれを見て嬉しそうに笑ってる。


子供は好きではありませんでした。結婚して、1年くらいで奥さんが妊娠。正直、もう少し二人だけの生活があった方がよかったなーと思ってたことも当時はありました。

妊娠3ヶ月になろうかという頃、切迫流産になりました。病院でみてもらったところ、赤ちゃんの心臓はまだ動いてるから、3~4日安静にしてその間にもし止まってしまうようなことがなければ助かるだろうということでした。奥さん、たくさん、たくさん、泣きました。産科病棟に入院したので、入院中、同室の妊婦さんたちが毎日のように赤ちゃんを産んで、大変だったけど嬉しくて、それを祝福してくれる家族や見舞い客と嬉しそうに話をしてる様子を感じながら、一方で自分の赤ちゃんは、もしかしたらダメかも知れないという思いのまま、毎日を自責の念にかられながら過ごしていたと後で聞きました。つらくて、つらくて、涙が止まらなかったそうです。

翌年、上のこぞーが誕生。あんなにか弱くて触れたらこわれてしまいそうだった赤ん坊が、日に日に成長し、表情も豊かに。「まぁま、ぱぁぱ。」と、満面の笑みで、言えるように。あの時、流産になってしまっていたら、こんなにも愛らしいこぞーには会えなかった。そのときのことを思い出すたびに、本当に、本当に頑張ってよく乗り越えてくれたと感謝の気持ちが湧き上がってきます。

そのこぞーも年長さん。いいおにーちゃんとして、いーたんの面倒を見てくれます。そして、いーたんはおにーちゃんが大好き。この1年、一緒に過ごしてきて、とにかく、おにーちゃんがやることを一緒にやりたくてしょうがない。ハイハイができるようになると、おにーちゃんの行くところについていきたいし、おにーちゃんの部屋に入りたくてしかたがない。

たぁにーちゃんといーたん。少し、年の離れた兄弟。おたがい、大好き。そんな二人をおくさんも私も大好き。子供が好きじゃなかったのに、親になって自分の子供が出来て、かつて親父やおふくろが言ってたことがやけに思い出されるようになりました。

世の中、実際にやらなくても勉強したり人から話を聞いたりするだけでわかることも多く、だからこそ先人の知恵を知る、本を読む、話を聞くというのは大事なのですが、やってみたり、その立場になってみなければ、絶対にわからないことも間違いなくあると思うのですが、その最たるものの1つが親の気持ち。

最近は日本も物騒で、決して子供にとってすごしやすい環境ではなくなってきつつあります。他人からだけではなく、自分の親からも虐待を受けたり殺されてしまったりする子供のニュースを見るたびに、自分の子供を見ては、「どうしてそんなことができるんだろう・・・」と思ってしまいます。まして、大好きだったはずの親に殺されてしまう時の子供が感じるであろう恐怖や悲しさ、無念さを想うと、涙が止まりません。ワタクシ、子供ができてからというもの、子供ネタや子供絡みのニュースには涙腺がユルユルになってしまっていて、どーにもなりません。

一方で、自分の子供への愛しい思いは、子供の成長を感じるたびに大きくなっていくのです。
頑張って、頑張って、心臓を一所懸命動かして生まれてきてくれた、たぁにーちゃん。この1年、大病することなく最初の誕生日を元気に迎えることができた、いーたん。ついつい、怒ってしまうことも多いけれど、二人が一緒にいて笑顔をみせてくれると、嬉しくて、愛しくて、楽しくて、ママとパパは、幸せになるのです。

「言葉にできない」

歌詞の内容からすると、本来の意味は少し違うんでしょうけど、二人を見てると、この曲の一節をいつも思い出してしまいます。

 あなたに逢えて  本当によかった
 嬉しくて嬉しくて  言葉にできない

二人に会えて、本当に、よかった。


明治安田生命(最近、不当な死亡保険金不払いで行政処分受けたりしてますが)のCMで、今の前のシリーズが「あなたに会えて」でした。このシリーズ、特に子供ができてからは見るたびに涙腺がゆるんでしょうがない。例えば、

「子供(春夏)」篇
「子供(秋冬)」篇
「家族の絆」篇

なんかも、こぞーどもとダブってしまってちょっとばかりウルって感じになりますが、見るとダメなのがこれ。

たったひとつのたからもの」編
たったひとつのたからもの-友達」篇
たったひとつのたからもの-懸命」篇

松田聖子と船越英一郎が両親役でドラマにもなっていた、「たったひとつのたからもの」の著者のお子さん、加藤秋雪くんをお母さんが取り続けた写真が「言葉にできない」の曲とともに流れていくCMです。

生後1ヶ月でダウン症と診断され、余命1年の宣告。それでも秋雪くんの成長を喜び、一日一日を一緒に過ごしていくことのできる幸せをかみしめ、毎日が充実した日々に。しかし、6年と3ヶ月後、その短い一生を閉じた秋雪くんの懸命に生きてきた姿が流れていきます。

ご両親は、大変な思いもしたと思いますが、それ以上に充実した幸せな日々をくれた秋雪くんに感謝してるのではないかと思いますし、短い命を懸命に生きてきた秋雪くんを誇りにも思っていることでしょう。その一方で、助けてあげられなかった無念さはいかほどかと思うと、自分の子供を持つ親としては何とも言えない気持ちになります。

もしこぞーどもが余命1年と言われたら・・・。
助けてあげたい。なんとしても助けてあげたい。
お金で解決できるなら、どんな手段を使ってでもかき集めてきます。自分の臓器を移植すれば助かる、でもそれをしたら、提供した自分は生きていけないと言われたら?それで助かっても、今の自分の歳までしか生きられないだろうと言われたら?
あげます。自分の命。それで今の私の歳までしか生きられないとしても、その歳まで生きることができれば、いろんなことができる。自分のように、大好きなテニスをやって、大好きな人に出会って結婚して、たぁにーちゃんやいーたんのような、大好きな自分の子供に出会うチャンスが残されるんです。うれしくて、うれしくて、言葉にできないような、そんな気持ちになれるチャンスがある。

そのためなら、自分の体はくれてやる。と、親になって思うのです。
そのとき、悔いはないでしょう。ただ、これ以上もう、一緒にいてあげられない。これから先は何も力になってやれないという無念さ、残念さだけは消えないでしょうね。。。

そんなことを思いながら、健康にここまで育ってくれたこぞーどもに思うことは、これからも、とにかく元気に育っていって欲しいということ。

いーたん、1才の誕生日を無事迎え、自分の中の思いをとりとめなくこんな風に書いてたら、こーんなに長いエントリになってしまいました。ご容赦を。

では、おやすみなさい。

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コメント

泣けます。

投稿: ヘレン | 2005/10/03 07:16

> ヘレンさん

こどもはかわいいっす。
こどもができてから、ずいぶんとこどもに対する思いは変わりました。

以前はこういう想いをブログにするとか口に出すってのは気恥ずかしくてしませんでしたけど、最近、わりと素直にいえるようになりました。

投稿: あるじ(abee) | 2005/10/03 07:20

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