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2008/04/27

回想録:闘病のはじまり

調べれば調べるほど希望が見えない病状でした。

ですが、母は医者に症状を告げられたあとも大きく落胆した様子は見せず、すぐにこの病気を治すためには何をすれば良いのか、何ができるのかを考え始め、医者に色々と質問したり弟や私にもインターネットで調べたりとか協力して欲しいと言いました。

本当は不安も大きかったはずなのですが、努めて前向きに考えて、必ず治ると信じて自分の病気に向かい合うと決めていたように思います。

当初は膵臓がんではなく子宮がん(または併発)の可能性もあったために、治療方針がなかなか決まらず、いたずらに時間が過ぎていくようで当事者でない私や弟でさえ焦りがありましたから、本人は相当にストレスだったはず。

2月に病気がわかってから、その後セカンドオピニオンを取るために、4月になってから築地にある国立がんセンター中央病院にも何度か通いました。予約ができないため、朝8時前に連れて行き、整理券を取るために受付が開く前から並んで待ったりしたこともありました。

ようやく治療を開始できる目処がついたのは5月になってからだったでしょうか。。
抗がん剤治療しか当面はできることがなく、副作用などの不安もありながらも、それでも完治を目指しての一歩を前に踏み出せることで、希望を持てるような、希望を持ちたいというような思いでした。

この写真は、2006年3月27日の天気の良い日、母と二人で実家近くの川沿いの道を散歩したときに撮ったものです。

20060327001

満開の桜を背に写真を撮ったあと、二人とも来年もこうして桜を見に来られるのだろうかという思いを持っていたと思いますが、お互いにそのことは口にせずにいました。

20060327002

なんとか来年も再来年もこうして桜を見ることができるように、治療の効果が出てくれることを祈っていた春の日でした。

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