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2008/04/29

回想録:お別れ

4月13日に母に会ったあと、しばらく病院に行くことができませんでした。

4月17日に自社の大きなプライベートイベントが予定されており、私はイベントの総責任者だったので、この週は非常に忙しく父と弟に看病をお願いしていました。

イベントの前日から会場となるホテルで深夜まで準備となり、いったん近くのホテルで仮眠を取って再び早朝にイベント会場に戻るという予定でしたし、当日は自分でも担当セッションがあって講演しなければならず、また、2つのアナリスト向けブリーフィングへの同席など、イベント責任者としての業務以外に掛け持ちがあったため、もしこの2日間に何かあったらその時はもう病院には戻れないと覚悟を決めて臨んだイベントでした。

実際、あとから弟に聞いたところでは、15日くらいから意識がほとんどなくなって呼びかけにも反応しなくなり、16日、17日は血圧も低下したり発熱したりで危ない状況になったことも何度かあったそうです。そのたびに父は私に連絡をしてくれていたようです。

しかし、結果的にはイベントも無事終了し、チームのメンバーと最後までイベント会場で片づけをしてその日は帰路につきました。翌日も会社に行き、終業時刻を少し過ぎた頃、やはり父から携帯に連絡があり、なるべく早く病院に来るようメッセージが残っていました。

ですがやることも残っていたため夜7時過ぎまで仕事を続けていたのですが、なぜかわかりませんが仕事を止めて病院に行こうという気持ちが強くなり、中途半端に仕事を放り出して病院に向かいました。

病院に着いたのは夜9時頃だったでしょうか。その時に会った母は、もう日曜日に会った時とはまったく違っていて、意識もなく呼びかけにも応じず、ほとんど瞬きもできないような状態でした。

それでも、熱があったのが少し下がって状態はちょっと前より落ち着いているとのことでした。しかし、それから2時間ほどして再び発熱し、うめくように呼吸をするようになりました。声を出して息をはかないと呼吸ができないようなのです。それぐらい呼吸をするのにも懸命な状態のようでした。

私の到着と入れ替えでシャワーと着替えに自宅に戻った弟に連絡し、早めに病院に戻るよう伝えたのが11時過ぎだったでしょうか。弟が戻ってきたので、彼の車を借りて今度は私が自宅に戻る予定でしたが、戻ってはいけないような気がして残ることにしました。

時計の針はもう翌日になっていました。少しずつ呼吸が弱くなり、呼吸の間隔が長くなっているのがわかります。自分の中で、もしかしたらその時が来てしまうかも知れないと覚悟を決めようとするのですが、一方でもう一度だけでも意識を取り戻して欲しいと願っている自分がいます。意識レベルが上がると、痛みも感じてしまいます。でも、もし本当にその時が来てしまうのであれば、わずか数秒でもいいから意識を取り戻してくれないかと願いました。

母さんの子供に生まれて幸せだった、と。
おれの家族に注いでくれたこれまでの愛情に感謝してる、と。

そういう思いのすべてを、たったひとことに込めて、

「ありがとう。」

と伝えたかったのです。

でも、その願いは叶わず、少しずつ、ゆっくりと呼吸が小さくなり、苦しそうな表情もなく静かに生きることを終えました。

4月19日の土曜日未明。

母との、別れのときでした。

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