文化・芸術

2012/12/02

柿沼康二 語録メモ

「模倣による没個性から抑えきれない自我、すなわち奥底の個性を見極める」

「食える食えないではない。書で生きる覚悟があるかどうか。」

「質より量」

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2008/06/28

一瞬を永遠に

久しぶりに、あるものを観に行ってきたときのお話(今日の話ではないんですが)。

あるじ、ほとんど誰にも知られてないこともまだいくつかありまして、たとえば、家族なんかはおそらくいまでも知らないような、あるじの楽しみとか趣味とかあります(ヘンな類のもんではないです)。

で、まあ、ここ何年もあるものを観に行ってなかったんですが、こないだ時間が作れたので行ってきましたが、やっぱり伝わってくるものがあります。

あるじが伝わってくると思ったものが、その一瞬を永遠のものとするために切り出した人の伝えたかったものと一致しているのかどうかはわかりませんが、少なくともその切り出された「刻(とき)」が視覚を通して捉えられたあと、あるじの中でさまざまな考えや思いを引き起こし、あるいは記憶を呼び覚ましたりします。

さらには、その「刻」だけが与えてくれる情報だけを受け止めたときと、さらにその「刻」がおこったときの場所や時代、背景などの情報が加えられたときとでは、あるじの中で湧き上がっていたさまざまなものが、またさらに変化していくのがわかります。

たとえば、ある「刻」を視覚として捉えた最初の瞬間は、そのもの自体は理解できているのですが、なぜそういう状態なのかがわからず、疑問と戸惑いの感情がありましたが、その背景を知るごとに、その国に対する落胆と憤り、発想の貧しさやこんなことから利益を得ようとする人間の欲の深さなんかを感じたりするのです。

こういうのって、基本的には一人で観るのがいいのかも知れないんですが、他の人と観にいくのもよかったりします。同じ「刻」をみて、同じ補足情報を得たとしても、伝わってきたと思うものは大きく違ったりします。あるいは、受け止めたものは同じだなと感じても、そこから湧き上がってくる思いや感情なんかはまったく別だったりします。一方で、まったく同じことを感じ、同じように捉え、同じ考えを巡らせているんだなっていうこともあったりします。むしろそっちの方が珍しく、同じ思いを共有していたと気づいたときは嬉しくもあったりします。

そういうことを、観てる最中とか観終ったあとに話をしてみると、とても刺激になります。楽しくもあり、興味深くもあり、考えさせられることもあり。でも、感じたりすることが全然違ってても、つまらないとか腹が立つみたいなことはないです。少なくともその瞬間は。場合によっては、その後についてちょっと考えることはありますけど。

こういうことって、どっちが正しくてどっちが間違っているってことはないじゃないですか。お互いが感じたことを感じたまま話をしてるので、どちらも正しい。もし間違ってることがあるとしたら、そのとき感じたことをそのまま話をしてくれなかったような場合だけかな。

たとえば、あるじの感想を先に聞いてそこから何か感じてしまって、最初に思った自分の思いに後から別の思いを加えてしまって、それを「最初に感じたこと」として言ってしまうみたいな。

そういう時は、「最初はこう感じたけど、あるじの話を聞いたら自分の中でこういう捉え方に変わって、今はこう思ってる。」みたいに言ってくれると、あるじ的にもさらに興味深くなって刺激的です。自分の思ったことが、他人の考えにどう影響したのかその場でわかるんですもん。

この日はあるじ、ほんとうに楽しくて、ここ最近の中では5本の指に入るくらいの充実した機会と時間を得ることができました。

また行けたらいいなぁ。。

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2006/02/05

感動

感動とは
感じて
動く
と書くんだなあ

うちのトイレに、相田みつを氏の心の言葉がつづられている日めくりカレンダーが吊るしてあります。

一日一日違う言葉がつづらており、なかなか気に入ってます。

昨日、2/4の言葉が冒頭のものでした。

それを見てちょっと考え込んでしまいました。

ここ何年かの自分を省みるに、「感動」したことがどれだけあっただろうかと。

感動

感じて動くと書く。

不感症になったとは思ってないです。最近1年くらいを振り返ってみても、心打たれる色んなことを見聞きし、体験もしました。

だが、心揺り動かされた後、それをきっかけに自分で何か行動を起こす、あるいはより発展的に考え方を変える、進化させるみたいなことを自ら行ったことがどれだけあったかと言われると、片手にさえ余りそうです。

感じたら必ず動かなきゃいけないとは言いません。

でも・・・すっかり腰が重くなり、昔と違って心にも余計な垢がついてしまい、「動く」ことに億劫になっているのかもしれないです。

何かを感じて、それに動かされるのでも、それをきっかけに自ら動くのでも、最初の一歩はどちらでもかまわない。

どんな些細な小さなことでも、感じることができたなら動く。感じたら動ける自分になりたい。いや、そんな自分を取り戻したい。

かつて、自分は間違いなく感じたら動けていたのだから。

感動」したいです。

うちのこぞーどもを見ていて思うのでした。

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